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ウイリアムズ、アルボンと新たな複数年契約を締結
Eleanor Hartley · 16 Sept · 2 min read
コンストラクター · P9 · 12 pts
Williams
| Rd | グランプリ | 最高位 | pts |
|---|---|---|---|
| 1 | Australian GP | P12 | 0 |
| 2 | Chinese GP | P9 | 2 |
| 3 | Japanese GP | P15 | 0 |
| 4 | Miami GP | P9 | 3 |
| 5 | Canadian GP | P9 | 2 |
| 6 | Monaco GP | P8 | 4 |
| 7 | Barcelona GP | P12 | 0 |
| 8 | Austrian GP | P17 | 0 |
| 9 | British GP | P17 | 0 |
| 10 | Belgian GP | P15 | 0 |
| 11 | Hungarian GP | P17 | 0 |
| 12 | Dutch GP | P16 | 0 |
| 13 | Italian GP | P13 | 0 |
| 14 | Spanish GP | P15 | 0 |
| 15 | Azerbaijan GP | P10 | 1 |
| 16 | Bahrain GPin Malaysia | P17 | 0 |
ウイリアムズはグローブを拠点とし、コンストラクターズタイトルを9度獲得してきた名門だ。ジェームズ・ボウルズの指揮とメルセデスのパワーを得て、2025年にはランキング5位へと躍進。2026年は厳しい戦いを強いられているものの、再建は着実に進んでいる。
現在のウイリアムズのルーツは、フランク・ウイリアムズが1970年代前半に運営していたプライベーターチーム、フランク・ウイリアムズ・レーシング・カーズにある。ウルフ・ウイリアムズ・レーシングとして厳しい1976年シーズンを過ごした後、ウイリアムズはこのプロジェクトを離れ、エンジニアのパトリック・ヘッドとともに1977年にウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立した。新チームは1978年には安定してポイントを獲得するようになり、1979年にはクレイ・レガツォーニがシルバーストンでチームにグランプリ初優勝をもたらした。この年、ウイリアムズは5勝を挙げ、コンストラクターズランキング2位でシーズンを終えた。
新たな10年の幕開けとともに、ウイリアムズはその潜在能力をタイトルという形で実らせた。1980年に初のコンストラクターズタイトルを獲得し、1981年には連覇を達成。僅差の戦いが続いた1982年にはケケ・ロズベルグがドライバーズ王座に就き、圧倒的なマシンがなくとも巧みに戦い抜くウイリアムズの強さを示した。ターボエンジンが普及するなか、1980年代半ばにはホンダエンジンとともに強さを発揮。1986年と1987年はそれぞれ9勝を挙げ、コンストラクターズランキングの頂点に立った。1988年には後退を余儀なくされたが、2度目の黄金期へ向けた舞台は整いつつあった。
1980年代末のルノーエンジンへのスイッチを機に、ウイリアムズは技術面で長く優位を誇る時代を迎えた。1991年には再びタイトルを争う存在となり、1992年と1993年はそれぞれ10勝を挙げてコンストラクターズ選手権を連覇した。1994年はイモラでアイルトン・セナが命を落とし、その悲劇は、この年にチームが獲得したコンストラクターズタイトルにも重い影を落とした。1995年を2位で終えた後、1996年と1997年には再び頂点に立ち、両年ともコンストラクターズ王座を手にした。1997年末にルノーが撤退すると勢力図は大きく変わり、ウイリアムズは1998年と1999年を未勝利で終えたが、いずれもランキングでは5位以内を維持した。
2000年から2005年まで続いたBMWとの提携により、ウイリアムズは再びコンスタントに勝利を争う力を取り戻した。2000年はランキング3位に入り、2001年からは再び勝利を挙げるようになった。コンストラクターズランキングでは2度の2位(2002年と2003年)を獲得し、4勝を挙げた2003年には本格的なタイトル争いを展開した。未勝利に終わった2005年を最後に提携は終了。その後は成績もエンジン供給元も落ち着かない時期が続いた。2006年はコスワース、2007年から2009年はトヨタ、2010年と2011年は再びコスワースのエンジンを搭載したが、ウイリアムズはよくても中団にとどまった。久々に多くのファンを沸かせたのが、ルノーエンジンを搭載した2012年のスペインでのパストール・マルドナドの優勝だった。これが現在もチームにとって最後のグランプリ勝利であり、この勝利を足がかりに同年はランキング8位となった。その後は再び成績が落ち込み、2013年は9位。しかし、ハイブリッド時代最初の2シーズンとなった2014年と2015年には大きく盛り返し、メルセデスのパワーを得たウイリアムズは、未勝利ながら両年ともランキング3位に入った。その後は2016年と2017年に5位へ後退。2018年から2020年までは3年連続で最下位となり、2020年には無得点に終わるなど、低迷は底を迎えた。
2020年には新たな投資家が経営権を取得し、オーナー体制が変わった。ウイリアムズ家は日常的なチーム運営から退いたが、チームはグローブを拠点とし続け、技術面だけでなく組織面でも再出発を図った。
ウイリアムズの復調は2021年から勢いを増した。この年は23ポイントを獲得して8位に浮上。2022年には10位へ後退したものの、2023年は28ポイントで7位まで巻き返した。2023年にチーム代表へ就任したジェームズ・ボウルズは、メルセデス製パワーユニットの使用を継続しながら、グローブで組織改革を進めてきた。その取り組みが実を結びつつある兆しは2024年に明確となり、2025年には大きな成果につながった。2024年は17ポイントで9位だったが、2025年には137ポイントを獲得して5位へ躍進。2016年以来、最高のコンストラクターズランキングを記録した。
現在も進行中の2026年シーズンは、中団争いがいかに熾烈なままかを物語っている。ウイリアムズはここまで12ポイントを獲得し、9位につけている。
ウイリアムズは、コンストラクターを軸とするチームの典型だ。ワークスエンジンの看板ではなく、自ら製作するシャシーと明確なエンジニアリングの哲学によって、その存在を確立してきた。フランク・ウイリアムズとパトリック・ヘッドが礎を築いた時代から、エイドリアン・ニューウェイが開発を率いた1990年代初頭の傑作マシン、そしてBMW時代へ。9度のコンストラクターズタイトルと7度のドライバーズタイトルでさえ、その歴史の一端を語るにすぎない。自動車メーカーの力と予算上限がものをいう時代にあっても、ウイリアムズは独立系チームの卓越性を示す存在であり続ける。その根は、今なお創設者の名と精神を受け継ぐ英国のファクトリーにある。

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Eleanor Hartley · 16 Sept · 2 min read